【5分で解る】お盆に花火大会が多い理由~花火の歴史と死の関係とは~
「花火を打ち上げると、故人と目が合う」
毎年お盆の時期になると、日本各地で花火大会が執り行われますね。東京で有名どころで言うと「隅田川花火大会」です。何万発も打ちあがる打上花火はまさに圧巻。夏の風物詩として、日本人の心を癒してくれる大切な文化です。
ところで皆さんは、「冬の花火」を観たことがありますか?夏に打ち上げられる印象が強い花火ですが実は、冬に打ち上げられる花火の方が空気が澄んでいて美しく見えます。
ではなぜ、夏のお盆の時期に花火が打ち上げられることが多いのか?
結論、花火には「供養」の意味が込められて打ち上げられてきた歴史があります。お盆に花火大会が多いのもこれが理由です。この記事では、花火の歴史と「死」の関係性について解説していきます。
~この記事は5分で読めます~
花火の歴史
花火の歴史から少しお話します。
花火の起源は日本じゃない
夏にバンバン打ち上げる花火。夏の風物詩として、僕たちのテンションを毎年あげてくれます。
日本的な文化かと思いきや、観賞用花火を世界で最初に打ち上げたのは13世紀ころのイタリアはフィレンツェなんです。当時は、武器として用いられていた火薬(主に中国で使われていました)ですが、なんたら商人によってヨーロッパに輸入されます(アラビア商人)。当時は、王様が見栄で打ち上げていました。
その後16~17世紀と時代が進むにつれ、ヨーロッパ全土にわたり、権力の誇示のみならず、結婚式や誕生日などの王室の祝い事の際に打ち上げられるようになりました。
日本の花火は徳川家から
同時期にヨーロッパから、鉄砲と共に花火が伝わりました。この時の将軍が徳川家康です(伊達政宗が最初という説もありますが、、、)。当時、家康に花火を見せたのはイギリス人の商人でしたが家康は大変感銘を受け、その後愛知県中心に花火の生産が盛んになり、三河が「花火の発祥の地」と言われるようになります。
江戸時代で花火が大流行
花火の歴史として、当初は王様の贅沢品として栄えましたが、3代将軍徳川家光が力を入れて花火を生産した結果、宮城県仙台市、茨城県水戸市等にも花火が広がり、庶民でも花火を手軽に楽しめるようになりました。
そうすると、無茶する人も出てきます。事故や火事が多発しました。でも、禁止されてもこっそり楽しむ人が後を絶たなかったのです。そのぐらい、歴史的に見ても花火は日本人の感性と親和性が高いことが分かりますね。
筆者も父親が花火を買ってくれた時は、手持ち花火ですらめちゃめちゃわくわくした記憶があります。皆さんもそうなのではないでしょうか?
(余談)なぜ、たまやー!かぎやー!と叫ぶ?
打ち上げ花火を見て「玉屋ぁー!」とか「鍵屋ぁー!」って合いの手打ちますよね?それには、こんな男たちのロマンがあります。
「鍵屋」と書きまして、日本で最も古い花火業者となります。350年くらい前からあります。実は当初、上記の隅田川花火大会は鍵屋が打ち上げを担当していたました。また、同時期に8代目鍵屋番頭の清七は腕の良さを買われ、のれん分けみたいな形で「玉屋」を創設します。
そこからが男のロマンです。隅田川花火大会では上流を玉屋が、下流を鍵屋で交互に花火を上げて競い合うようになりました。そん時観客は?と言うと、素敵だぜ!と思った方の屋号を声高に呼びました。
「鍵屋」「玉屋」っていう合いの手の由来です。
ちなみに玉屋はその後、鍵屋よりも人気が高くなってきました。これが玉屋の方がポピュラーな理由です。その後、玉屋は花火が原因の大火事を起こし、一代で廃業となってしまいますが、今現代においても「玉屋ぁー!」の合いの手は根強く残っています
花火と死の関係
まさに江戸時代で、初めて「弔い」の意味を込めて花火が打ち上げられました。
日本最古の花火大会「隅田川花火大会」と「死」の関係
日本で最初に行われた花火大会が、「隅田川花火大会」です。実はこれ、最近呼ばれるようになったもので、当時は「両国の川開き」と呼ばれていて、昭和30年代から50年代にかけて実施されていなかったものが、隅田川花火大会と名前を変えて、再び実施されるようになりました。
隅田川花火大会はなぜ行われるようになったのか?それには、こんな歴史があります。
隅田川花火大会
引用:隅田川花火大会公式HPから
歴史的記録の残るものは両国の花火が最古となっています。江戸時代の享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。
幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが「両国の川開き」の由来とされています。
当時の日本は「贅沢が敵」みたいな風潮がありまして、大飢饉や疫病が流行していたといいます。そんな暗い世の中の風潮を一掃すべく「鎮魂」の意味を込めて花火を打ち上げたそうですよ。なので慣習的に、花火大会は「お盆」の時期に行われるわけです。
東日本大震災の供養花火打ち上げ
2011年3月11日14時46分、筆者は宮城県仙台市に居ましたので、当時の記憶は鮮明にあります。高校一年生の時です。
あれから約9年の月日が流れましたが、毎年3月11日付近になると、日本中が追悼の色に染まります。静かできれいな色です。
当日には、追悼の意味を込めて花火が各地で打ち上げられます。発災同時刻の黙祷と同時に打ち上げられます。
昼なので、音花火が多いです。ピーーという笛花火と共に、地に轟く音花火が打ち上げられます。1分間の黙祷開始の合図です。それからは12秒ごとに花火が打ち上げります。6発目で丁度1分。笛花火と共に打ち上げられ、黙祷辞めの合図がなります。
夜になると、海岸で夜物の色鮮やかな花火を打ち上げます。
なぜ、供養の意味を込めて花火が打ち上げられてきたのか?それには2つの想いが込められています。
故人と目が合うように
僕たちは花火が打ちあがると、自然とそれを見上げます。これは人間の反射によるもので、知覚に障がいがある方でも、花火の開花を目で追います。花火が開花し故人を偲ぶと同時に、天国にいる故人も空から花火を見下ろします。花火を通じて故人と目が合うように、美しくて大輪の花びらを咲かせます。
自分(遺族)の位置を知らせるように
発災から約9年。今だ2533人(令和2年3月7日現在)の方が行方不明です。海にのまれ、見つかっていないのです。そんな方々が一刻でも早く見つかるように、海岸で大きな花火を打ち上げます。「私はこっちにいるよ」と知らせるようにです。
以上の歴史的な事実があるため、お盆に打ち上げるのが慣習的になっているわけですね。
このほかにも供養の意味合いが強い花火大会は全国で多くあります。ぜひこちらも併せてご覧ください。
供養の意味を持つ花火大会まとめ
花火を活用した新しい葬儀
本来の花火が持つ意味を理解し、それを葬儀に活用している自然葬があります。それが「花火葬~灯(ともしび)~」です。
自然葬と花火を組み合わせた新しい葬儀の形です。
花火の持つ本来の意味を理解した上での花火大会は面白いかもしれいないですね。今年の花火大会はぜひこの記事を意識して参加してみてください。